カテゴリ:お悔やみ( 2 )

なんだか。

いのちって儚い。

と、「とくだね」をみて朝からショッキングな気分になった一日でした。

特にファンとかではなかったけど、かわいい子だなぁと好感を持っていたくらいだけど、

とても衝撃的でした。



上原美優さんのご冥福をお祈り申し上げます。




***


なんで、このニュースがこんなに自分に響いているのか。

最近、負のループにはまっているからかなー!?




ずっとずっと前から、ふとした時に考えるナゾ!!

自分が何で、何のために生きているのか、よくわかりません。

何のために仕事する??

何のために食べる??

・・・etc.

いきる・たべる・おかね ナゾのトライアングル△




昨日、歩いててめまいがしました。

どうしても右に、よれる!転んだりするかと思った!



その前は、ベッドで横になっているとき。

天井が回ってた!!ぐるぐる。



脳やばし!?と思ったりなんだりしましたが特に何もナス。



健康をサポートする立場の人間が、らしくないね~!?


根暗だわ!!



***


もうこんな時間~。

明日ちゃんとおきられますように。


今日はお悔やみカテゴリのため、いいことコーナーなし!!



☆いま行きたいトコロ→市原ぞうの国・富士急・ディズニー・伊豆・東武ワールドスクエア

いっぱい!
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by maminnie6 | 2011-05-13 02:13 | お悔やみ

書きます。

東日本大震災。


被災者のみなさま、犠牲になられた方々、そのご家族親戚、ご友人…ご縁のある方々、

故郷がそこである方、土地にご縁のある方、…

多くの多くの方々に、お見舞を申し上げます。

なくなった方々の、ご冥福をお祈り申し上げます。




明日で1ヶ月。

2011.3.11.14:46は、多くの方々がそうであるように、わたしにとっても衝撃的で、

何と言葉にしたらよいのかわかりません。




ご縁があり、以前たった2ヵ月半だけ宮城県で仕事をさせていただきました。

わたしの営業の担当エリアは、塩釜、利府、多賀城、松島、七ヶ浜。

会社、自宅は仙台駅近く。

そうだ、家は仙台市青葉区小田原4丁目のマンション。久々に地図を見てみた。




知人1人もいないその土地で働くことに決まったとき、不安と寂しさばかりだった。

配属された実際は、ありがたいことに温かい人々に囲まれた。

会社の上司、先輩、東北他県担当の同期。みんなが温かかった。

特に、先輩方がいつもわたしを助けてくれた。優しかった。ありがたかった。



営業担当先の薬剤師の先生の優しい笑顔。

偉い先生たくさんの医局でプレゼンしたときの、緊張したこと。



車ぶつけて事故ったのをすぐに報告しなかったことを怒った警察官。

方言丸出しの言葉が印象的。多々、何を言ってるかわからなかった。


***


松島、きれいだった。島々を眺めながら家族でクルージングツアー。かもめがたくさんいてこわかった。

風が気持ちよかった。

街道沿いに並ぶお土産やさん、海鮮市場。

名前なんだろう、赤い橋。震災で崩れてしまったらしい。


塩釜、とてもレトロな街並みだった。

商店街の店や街灯、全体的にレトロ。先生も穏やか。

港町。好きだったあの雰囲気。津波がきた映像が、嘘だとおもった。


利府は、本当に毎日よくよく通った。のびのびしている土地。


多賀城は、よく通り過ぎた。担当なのに。


七ヶ浜は、街全体がおしゃれ。

レンガ調の道路、きれいに並んだ住宅、花がたくさん植えられていたのが印象的。



たった2ヶ月半しかいなかったわたしが、こんなにも心深く、心地よいと感じた土地。

大好きな土地。

第2のふるさと、というのには大変おこがましいが、それほど好きで、癒される土地。


辞めてから、一度だけ仲の良い先輩を訪ねて遊びに行った。

また行きたい。と、ずっとずっと思い続けていたが、怠慢で出不精なわたし。

1人でもいつでも気軽に行けるし、なんて思ってたから。



***

TVやラジオで聞くたくさんの地名、あの先輩が担当していたところだ。

あの先輩の家があるところだ。あの上司の家があるところだ。

顔が浮かんでくる。みんな、どうしているのだろう、こわかっただろうな、安否は…?


よく利用した、仙台駅の新幹線ホーム。ぐちゃぐちゃになっていた、信じられない。

お土産屋さんがたくさんあって、活気のあるとてもにぎやかな駅が。

よく買い物をした。

東京からの到着時に車内で流れるメロディ、何度聞いたことでしょう。


***

あのときはこどもだった。今思うと信じたくないほど、はずかしい人間だった。

あの時期に同じように辞めるにも、もっと大人らしい礼儀を持って挨拶して去る、ということができたのではないか。

それほど、自分にいっぱいいっぱいで、余裕がなかった、冷静でいられなかったし、

いただいた恩を感謝しきれないままであった。それが一生の後悔。

だから、気になるけど連絡先もわからない、表立って心配するのも申し訳ないというか。


でも、唯一つながってくれている先輩がいる。

東京に、だんなさまと、お腹の赤ちゃんと一緒に逃げてこれたって。よかった…。

どうか、無事に元気な赤ちゃんを産んでください。今度、会いに行かせてください。



おととい、ようやっと、元同期にれんらくしたところ、

社員全員無事、とのこと。


安心した。胸のつかえが少しだけとれた。



***


仕事続けていたら、もしかしたら、わたしも被災していたのかもしれない。

生まれてずっと東京で育って、津波の知識なんてないから、

そんな境遇に合ってもどうしたらいいかなんてわからなかったでしょう。



東京に帰ってきてよかったね、って言ってくれる家族、友人、同僚たちがたくさんいる。


複雑。


正直、危なかった。と思う。こわいなって思う。

でも、わたしがいなくなったことで、そこに配属された人がいる。

もしかしたら、あのまま会社にいても、自然に担当エリアは変わっていたかもしれない。

考えすぎかもしれない。


それも、運命なのかもしれない、としか言えない。

素直に喜べない。


どうか、あの美しい街が、土地が一刻でも早く元に戻りますように。

被災された方々が、笑顔で普通に暮らせる日が来ますように。

安否不明な方々が、早く見つかりますように。

余震、もうやめてください。



*未熟な文章で、不適切・不快な文章・表現がありましたら申し訳ございません。

 このページでは、わたしの縁のある土地をクローズアップして記させていただきました。

 いままでブログに書き込みをする、ということにも罪悪感というか、嫌悪感というか、気が進まずにいました。

 忘れてはいけない、残しておかなければいけない、と自分なりに思って、やっと書きました。


2011.4.10
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by maminnie6 | 2011-04-10 15:30 | お悔やみ